お墓や慰霊碑が立てられている白虎隊十九士が自刀した場所
【360度パノラマビュー】
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木々に覆われ、静かな飯盛山の中腹にある「白虎隊自刃の地」。見学は自由です。
1868年、戊辰戦争が勃発し、鶴ヶ城を死守すべく戦うことになった会津藩は、10代の若者を集め、白虎隊を結成しました。しかし、白虎隊は前線や防衛拠点へ投入されるが焼け石に水、戦局は撤退を余儀なくされ、飯盛山へ逃げ延びました。
そこで、白虎隊が見た光景は守るべく鶴ヶ城が炎上する姿で、その瞬間に落城したものと思い、若い20人が自刃し、19人が死亡しました。実際には、他の建物が燃えていて、天守閣は炎上してなく、落城もありませんでした。
現在は、石段を上がった小高い場所に、ひっそりとお墓や慰霊碑が立てられていて、眼下に会津若松市内や鶴ヶ城を見渡せます。