白虎隊自刃の地

お墓や慰霊碑が立てられている白虎隊十九士が自刀した場所

【360度パノラマビュー】

緑豊かな小さな飯盛山が白虎隊自刃の地
緑豊かな小さな飯盛山が
白虎隊自刃の地
石段を上がった所にあり今でも多くの人が訪れる場所
石段を上がった所にあり
今でも多くの人が訪れる場所
山の中腹に築かれている白虎隊十九士の墓
山の中腹に築かれている
白虎隊十九士の墓
白虎隊十九士の墓について密かに埋葬された歴史
白虎隊十九士の墓について
密かに埋葬された歴史
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白虎隊十九士の霊像が安置される宇賀神堂
白虎隊十九士の霊像が安置される
宇賀神堂
自刃した白虎隊で唯一生き残った飯沼貞吉の墓
自刃した白虎隊で唯一生き残った
飯沼貞吉の墓
遠くを望むように立つ白虎隊石像。その先に見えるのは鶴ヶ城
遠くを望むように立つ白虎隊石像
その先に見えるのは鶴ヶ城
白虎隊も見たであろう鶴ヶ城。(矢印のところが天守閣)
白虎隊も見たであろう鶴ヶ城
(矢印のところが天守閣)
会津若松の観光ガイドマップ
会津若松の観光ガイドマップ
コメント

木々に覆われ、静かな飯盛山の中腹にある「白虎隊自刃の地」。見学は自由です。
1868年、戊辰戦争が勃発し、鶴ヶ城を死守すべく戦うことになった会津藩は、10代の若者を集め、白虎隊を結成しました。しかし、白虎隊は前線や防衛拠点へ投入されるが焼け石に水、戦局は撤退を余儀なくされ、飯盛山へ逃げ延びました。
そこで、白虎隊が見た光景は守るべく鶴ヶ城が炎上する姿で、その瞬間に落城したものと思い、若い20人が自刃し、19人が死亡しました。実際には、他の建物が燃えていて、天守閣は炎上してなく、落城もありませんでした。
現在は、石段を上がった小高い場所に、ひっそりとお墓や慰霊碑が立てられていて、眼下に会津若松市内や鶴ヶ城を見渡せます。

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