お墓や慰霊碑が立てられている白虎隊十九士が自刀した場所
【360度パノラマビュー】
![緑豊かな小さな飯盛山が白虎隊自刃の地](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin01.webp)
白虎隊自刃の地
![石段を上がった所にあり今でも多くの人が訪れる場所](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin02.webp)
今でも多くの人が訪れる場所
![山の中腹に築かれている白虎隊十九士の墓](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin03.webp)
白虎隊十九士の墓
![白虎隊十九士の墓について密かに埋葬された歴史](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin04.webp)
密かに埋葬された歴史
![白虎隊十九士の霊像が安置される宇賀神堂](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin05.webp)
宇賀神堂
![自刃した白虎隊で唯一生き残った飯沼貞吉の墓](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin06.webp)
飯沼貞吉の墓
![遠くを望むように立つ白虎隊石像。その先に見えるのは鶴ヶ城](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin07.webp)
その先に見えるのは鶴ヶ城
![白虎隊も見たであろう鶴ヶ城。(矢印のところが天守閣)](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/byako-jijin08.webp)
(矢印のところが天守閣)
![会津若松の観光ガイドマップ](https://360navi.com/wp/wp-content/uploads/2022/03/aizu-a01.webp)
コメント
「白虎隊自刃の地」は、木々に囲まれた静かな飯盛山の中腹にあります。見学は無料です。
1868年、戊辰戦争が勃発し、鶴ヶ城を死守すべく戦うことになった会津藩は、10代の若者たちを集め、白虎隊を結成しました。
しかし、前線や防衛拠点へ白虎隊を投入するも、戦局は撤退を余儀なくされ、飯盛山へと逃げ延びました。
その場所で白虎隊が目にした光景は、守るべき鶴ヶ城が炎上する姿でした。その瞬間、彼らは落城したと思い込み、20人の若者が自刃し、そのうち19人が亡くなりました。
実際には、他の建物が燃えており、天守閣は炎上せず、落城も起こっていませんでした。
現在は、石段を上がった小高い場所に静かにお墓や慰霊碑が建てられ、そこからは会津若松市内や鶴ヶ城を一望することができます。