徳川家康最後陣跡

東軍の徳川家康が最後に指揮をとっていた場所

【360度パノラマビュー】

木々に覆われた公園の中に立つ、徳川家康最後陣跡
木々に覆われた公園の中に立つ
徳川家康最後陣跡
「床几場・徳川家康進旗験馘處」と書かれた石碑が立つ土壇
「床几場・徳川家康進旗験馘處」と
書かれた石碑が立つ土壇
この場所の土壇や土塁は1841年にこの地の領主によって築造
この場所の土壇や土塁は1841年に
この地の領主によって築造
戦いが終わり、部下が取ってきた敵の首を確認する実検の様子
戦いが終わり、部下が取ってきた
敵の首を確認する実検の様子
関ヶ原の観光ガイドマップ
関ヶ原の観光ガイドマップ
コメント

岐阜関ケ原古戦場記念館の西側に位置する国史跡の徳川家康最後陣跡。見学は無料です。
苦戦する家康は桃配山からこの場所へ本陣を移動し、石田三成が陣を置いていた笹尾山とは直線で800mとなりました。ここで松尾山の小早川秀秋が家康の命令に従い、西軍を裏切り、東軍の勝利へ導きました。
勝利した家康は、この場で味方が討ち取ってきた敵将を自ら首実検し、その功績を称えた床几場(しょうぎば)となっています。
その後、遺体は東首塚と西首塚を造り、埋葬されました。